市川優の短編書房

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【小説/書評】高橋源一郎『ガドルフの百合』文字の欠如が生み出す「省略化していく世界」

高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(集英社)より

『ガドルフの百合』

 

宮沢賢治の作品タイトルを原題のまま使い、小説家が独自の新たな世界を構築した物語群の1つである。

主人公のガドルフはホテルのような部屋のベッドで目を覚ます。彼は昨日までの記憶をほとんど失っていた。そして、枕元に手を伸ばすとある手帳が出てくる。

その手帳にはガドルフ自身がガドルフに向けて、今日起きる出来事を綴っていた。その手帳を読み終えると、手帳にほぼ書かれていた内容通りのことが起き、そしてある地点までいくとまた目を覚ます場面へと戻る。

起きてある出来事を経験して目を覚ます、起きてある出来事を経験して目を覚ます。これをひたすら繰り返していく。

ただ、少しずつ状況は変わっていく。手帳に記された情報量や、その日に起きる出来事などが目を覚ますごとに、少しずつ省略されていくのである。

登場人物や固有名詞が少しずつ消えていき、その詳細な部分が失われていくことで物語のスピードはゆるやかに加速していく。

これは物語世界の状況が変化しているという見方もできるが、違う見方も可能に思える。彼の知覚できる領域が徐々に狭くなっていると仮定したらどうだろうか。

同じような一日を繰り返しているが、その一日の中で彼が認識できる要素のみが減っていき、物語が省略化されているのではないか。

そうした読みの可能性が開かれるのは、主人公であるガドルフ自身が「昨日までの記憶がない」という特殊な状態であり、彼の経験したこと自体が信用できないからであろう。

その不確定性が文字の欠如によって表現されており、読者もまた自分が先ほどまで読んでいた世界が徐々に閉じていく様に不思議な感覚を覚えることだろう。