市川優の短編書房

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【小説】チェーホフ『六号病棟』「世間」という権力が貼る狂人のレッテル

チェーホフ『六号病棟・退屈な話他五篇』(松下裕訳、岩波書店)より

『六号病棟』

 

ロシアの小説家チェーホフ(1860-1904)の『六号病棟』(六号病棟・退屈な話他五篇、松下裕訳、岩波書店)には、日常そして世間に潜むじめじめとした闇が描かれている。

主人公の院長はある日、精神病院で隔離されている男と出会う。男は院長の周りにいる他の人物とは異なり、「考えたり議論し合ったりできる人物」であり、知性に溢れていた。彼の魅力にひかれ、対話を続ける院長に対して、周囲は院長自身を狂人扱いしていく。そして、最終的には院長もその精神病棟に入れられることになる。

院長が気分を変えるために郵便局長とともに旅に出かける場面がある。しかし、道中での郵便局長の行動や言動を見て、「われわれ二人のうち、どっちが狂ってるだろう」と考える。また、精神病棟に入れられる前には、「わたしの病気というのはただ、この二十年のあいだにわたしが町じゅうでたった一人しか賢い人間を見つけられなかった」と告白する。

なぜ、院長は狂人だとされたのか。それは常人である周囲の人間とは違い、そして彼らによる「世間」という名の権力によって「狂人」のレッテルを貼られた。ただ、それだけに過ぎない。主人公や周りの人物の緻密な描写で、狂人と常人の境界の曖昧さ、そして私たちの日常の脆さが強く提示されている。